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2018年10月18日つばき谷の小道

生涯発達ということ

発達を、ほとんどゼロの状態から向上していき、成人で完成を見るとする見方には限界があろう。

成人において単一の完成態が現実にあるというのは疑わしい。

人生のどの時期にも獲得と喪失があるのだから。

 

全国高等学校定時制通信制生徒生活体験発表島根県大会に参加した。

県内の高校から選ばれた10人の生徒たちが、7分間、学校生活体験を発表した。

小学・中学時代に経験した「いじめ」「不登校」「引きこもり」などによって友人や学校を失い、挫折感、喪失感を味わい、不安の真っただ中に陥った彼らが、自分で選んだ定時制通信制高校で新しい学校、新たな友人、教師を獲得し、成長していく姿を目の当たりにした。

 

人生のどの時期にもその時々の発達課題(その「課題」をこなすことで次の発達が可能になるという意味で)があり、人生はその課題をいかにこなしていくかの連続とみなすことができよう。

その限りでは、子どもも大人も同様であり、課題の種類が異なるに過ぎない。

人生において、年齢に関連してすべての、あるいはほとんどの人が経験する出来事(保育園への入園や学校への入学、卒業、就職、結婚などなど)だけが重要なのではないだろう。

ほかにも、例えば大病する、肉親がなくなる、外国に行く、離婚するなど、個人の一生に大きく影響を与える出来事がある。

この種の事柄もかなり多くの人が体験するのである。

 

今年第1位に選ばれたのは、宍道高校の高橋椿太郎君の演題「まだ終わらない」だった。

幼くして亡くなった幼児との交流から、「生き抜く」ことを学んだ彼は、自らの難病を乗り越え、陸上選手として全国1位に選ばれるまで復帰した。

彼の挑戦は「まだ終わらない」のだ。

 

人は一方的に、生物学的・遺伝的影響、環境的影響、また社会・文化的影響に規定されるものではない。

たえずその限界の中で、それを乗り越えようと、もがきつつ生きているのである。

重要なことは、それらが個人に影響を与えるにせよ、単に与えられるものとしてではなく、個人がそれを主体的に受け止め、どのように意味づけるかの過程が注目されねばならないということである。

 

今、生涯発達の考えが導入され、従来の、小さい子どもが大人という「完成体」にまで進んでいく様子を発達と呼ぶという見方が修正されつつある。

従来の、生まれてから大人になるまでの成熟に注目する発達の見方とは異なり、成人・老人期を扱うところまで拡張されたのである。

 

(髙橋 憲二)

 

第1位に選ばれた宍道高校の高橋椿太郎君

(掲載許可済)

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